最近考えていること色々

「楽しく働く人を増やしたい」

 

やっぱりまずそれがあって。

 

仕事って、楽しいものだ、楽しめるもののはずだって思っています。
世界中の大人が「楽しく」働いていて、「楽しく」生きていて、
子供が大人を見て「大人って楽しそうだな!」って思う世界、そうしたいとやっぱり思っています。

 


自分自身は、仕事は楽しいです。
大変な面も勿論あるけれど、基本的に僕は仕事は楽しいです。

 


仕事が楽しい、っていうのは基本的に二つの側面があって

「自分がしたい、やりたいと思っていることをやっている」ということと、「相手が喜んで(お金を出して)くれる」ということです。

 

僕自身は運がよかったです。

 

「自分がしたいこと」が「お金を払ってでもやって欲しいこと」つまり市場があることだったからです。


でも例えば、音楽をやるとか、漫画をやるとか「ほとんど市場がない」ということが「やりたいことだ」という人もいる。そういう人は「経済的に困窮する」か「やりたくないことをやって、経済的には保つ」ということに、どうしてもなってしまいます。

 

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仕事というのが、「お金を払ってでもやって欲しいこと」に従事する、力関係的にすごくなっている、社会全体でそうなっている。

 


これ何が起こっているかというと

したい生活(かかるお金)>やりたいことだけで稼げるお金

ってなっているっていうことです。

 

だからこれは、個人レベルで見ると、
「したい生活(かかるお金)」を下げるか、


「やりたいことだけで稼げるお金」を増やすか、そうしないと生活の質が高まらないのです。

 


今の社会の仕組みの中で、個人がQOLを高めようと思うと、これはすごく大事なところだと思います。

Strength(好きなこと、やりたいこと)×Skill(お金を払ってでもして欲しいと思うこと)

 


このバランスと言うのを、個人の中でやるというのは、割と普遍的なことだとは思ってはいます。

 

 

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【金融資本主義、新自由主義と、希望格差社会


でも、ここで困ったことを感じています。

どうも「個人のレベルで、それぞれが頑張りましょうね」ということを超えてしまっている。


※金持ち父さん貧乏父さんが出たのが2000年。
希望格差社会が出版されたのが2004年。
※これからの正義の話をしようが出たのが2010年。


ここで「お金を稼ぐのが好きで得意な人たち」というのがいて、何も悪くないんですけど、構造的に必然的に「金利を取る側」になって、「金利を取られる側」との格差を生じさせることになりました。

 

金利は「お金がお金を生む」ということを可能にします。
それに気づいたロバキヨは「だから、不労所得を得るようにすれば、今の社会は自由に生きられるんだよ」と説きました。


これ、本当にその通りなんです。

今の資本主義社会で「自由」を満喫しようと思うと、金持ち父さんになって、不労所得で、お金がお金を生んで、金利を受け取る側になるのが一番なんです。

でも、当然そうなると「金利を払う側」の人は、大変なことになります。

 

しかも、新自由主義的な思想は「競争すればいいんだ」ってなる。
「自由な競争の結果、負けた奴は、努力が足りなかったんだ」ってなる。金利を払う側に落ちたのは自己責任ですよ、と。


そして富の偏在というのはすごいことになりました。
世界がもし100人の村だったら」(初版2001年)
少なくとも「お金」という冨は、ものすごく偏って存在しています。

 

そしてそのお金は「殖えよう」と動いていて
金利を払ってくれるところ」へ投資しようと常に動いている・・・という状態が、常態化しています。


家賃や住宅ローンという金利の一種を支払うのに、必死です。
ロバキヨが喝破したように「不動産を持っている側」は「金利を受け取る側」なのです。

 

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これは革命。


金銭単一軸の競争社会から、もう降りましょう。

降りることによって、革命が起きます。


多軸・主観・流動の世界へシフトするわけです。

 

コロナが起きて「幸せとは何か」を考えざるを得なくなった人たちにたくさんあってきました。「こんなに家族と過ごせて」とか「こんなに自然と触れ合えて」とか。今までなんであれほど仕事中心だったんだろう・・・・というような人はたくさんいます。


エコノミーセンタードの世界から、ヒューマンセンタードへのシフト。革命。

 

それはエコノミーセンタードは
・金銭単一軸で
・競争する
という世界でした。

 

ほとんどの人が、そこに吸い上げられてきていました。

でも、その世界を生きなくたっていいわけです。


例えば、日本全国に空き家がたくさんあります。
とすれば「降りる」ことを選ぶ人は、一気に「住居費」という、最も大きな固定費を下げることができるようになります。

 

日本の空き家問題の解消にも貢献しているAddressという本当に素晴らしいサービスがありますが、月額4万円で全国住み放題です。


エコノミーセンタードの世界は、
・価値と価格は比例している
・よい生活をするには「価格」を出せる「収入」が必要である

と洗脳してきます。街中に広告が並び「これが幸せの形ですよ!」と洗脳しようとしてきます。

 

でも、もういいんです。

 

「自分の幸せは、自分で決めますから」。

 

そういう「エコノミーセンタードの世界」から離反する人が増えれば増えるほど、社会全体の革命が加速していきます。


ヒューマンセンタードな世界では「主観」がとても大切です。

 

価格がいくらかなんかじゃないんです。

 

好きなもので高いものもあれば、好きなもので無料のものもあるでしょう。

自分が「好きだと感じる」ということが、何よりも大切です。

「好きだと感じる」ということこそが、QOLなわけです。


コロナがあって「好きな人といる」「好きな場所にいる」「好きなことをする」ということが”自分にとって”すごく大切なことなんだと、感じた人は多いのではないでしょうか。

 

その、一人一人の内側から始まる革命が、本当に本質的な革命です。


エコノミーセンタードの世界は、そのままあっていいんです。市場競争に打ち勝って、都心の高級マンションに高い家賃を払って住む。そういう世界も引き続き、世界にあってもいい。


でもヒューマンセンタードの世界は、自分が好きな場所で、好きな人と、好きなことをすることを大切にする世界です。価格に縛られず。

 

そういう「コミュニティ」が復活するでしょう。

 

おそらくですが、しばらくは「地域」と「会社」がコミュニティとしての機能を提供することになると思います。

 

コミュニティは、価値観やライフスタイルがある程度共有され「これがいいよね」という人達が集まって構成されます。


自給自足、手間ひまをかけることを楽しみたいというコミュニティも出てくるでしょう。みんな庭で農業もしつつ、1週間のうち数時間は「オンラインで、プログラマーとしても仕事をしている」というような。

 

食べるものも、普段使う食器とかも「自分たちで創る」。その面倒さを楽しむ。そんな人たちの集まりコミュニティというものも出てくるでしょう。


「田舎も都心も両方好き」という人達が集まったコミュニティも出てくるでしょう。田舎に週4日暮らして、都心で週3日暮らす。都心では、外食生活を満喫して、田舎では自給自足生活をの楽しむ・・・そんなバランスがいいよねという人達のコミュニティも出てくるでしょう。


一人一人が「自分が好きだと感じること」を大切にして、それを共有しやすい人たち過ごすわけです。

 

「一人暮らしが最高。コミュニティとか、近所づきあいとかしたくない。全部”サービス”の方が気が楽」というひともいるでしょう。そういう人は都心で一人暮らしをしてUberEatsとか”サービス”を消費しながら暮らすというライフスタイルもあるでしょう。

 

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【降りる人が増えると、格差も減る。】


例えば、地方に移住します。


そうして「最初に現金で家を買ってしまった」みたいなことになると、住宅ローンや家賃と言った「金利収集機能」を経由しなくなります。

 

そういう人たちが増えれば増えるほど、自然と「金利商売」は減っていきます。

 

ちなみにGDPも減っていきます。

 

自家栽培の野菜で食を保つようになると、野菜の売買量が減るのでGDPは減ります。でも、GDPは減っていいのです。

 

「年収は半分になったけど、生活は豊かになった」という家庭が、日本中に増えて何の問題もありません。

 

「経済成長」に取りつかれている政治家や資本家などは驚くかもしれませんが、気にする必要はありません。

 

「大丈夫ですよ、自分の幸せの形くらい、自分で決められますから」

 

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【ヒューマンセンタードの世界での会社】


ヒューマンセンタードの中核は

多軸・主観・流動

であると思っています。


エコノミーセンタードでは「金銭単一軸」でした。「それって儲かるの?」「それっていくらになるの?」ということしか聞かれない世界。


ヒューマンセンタードではまず軸は多数あります。「お客さん喜んでくれているかな?」「自分たちはやりがいがあるかな?」「誇らしさがあるかな?」「対価をもらえるかな?」「健康的かな?」・・・などなど様々な軸で検討されます。

 

そして個々人が「どう感じるか」がとても大切にされます。

主観で、感じることこそが、最も重要だということです。

嫌だとか、嬉しいとか、誇らしいとか、そう「感じる」ことはQOLに直結していることだからです。


ヒューマンセンタードの世界では、その中にある「会社」や「職場」も、同じく多軸・主観・流動を大事にして行うことになるでしょう。

 

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【量的拡大はしてもいいが、しなくてもいい。】


どんなコミュニティに魅力を感じるかは、人それぞれです。

 

「甲子園で絶対優勝するぞ!」といった強豪チームに入りたい人もいれば「のんびり怪我無く楽しくみんなで野球をしたいよね」といった草野球チームに入りたい人もいるでしょう。


「甲子園で優勝するぞ!」というタイプの企業も引き続きあるでしょうし、「のんびり怪我無くみんなで楽しくやろうね」というタイプの企業は今後増えていくように思います。

 

今までは人口増加の背景なども影響しつつ「成長一辺倒」の世の中でしたが、世の中にもっと多様性が増してくるだろうと思います。

 

ライフスタイルの多様性が増して、ワークスタイルの多様性も増す。そういうなかで「草野球型企業」みたいなことも、増えてくるだろうと思うのです。

 

草野球型企業は「もっと売上を伸ばすぞ!」などと思っていません。週1回、顔を合わせて、野球ができる。なんだったら野球を口実に、みんなで会って話をするのが楽しいとか、試合ごとの飲み会が楽しい・・・本当はそっちの方が大事・・・なんてこともありえます。

 

そういうタイプの企業も全然あっていいでしょう。

 

「エコノミーセンタードの世界」の人たちに「さぼるな!」とか「甘えるな!」とか「GDPが増えないだろう!」とか言われても、気にする必要はないのです。

 

エコノミーセンタードが正しいわけじゃない。間違っているわけでもないけど、選択肢の一つに過ぎないからです。


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【閉鎖的な村社会との違い】


これだけ「都市」が発達した背景の一つには「村社会の閉鎖性が嫌だった」というのもあると思います。もちろん、エコノミーセンタードの世界が発展していく中で、経済合理性の力学で都市が発展していった面も間違いなくあると思いますが、「出ていきたくなる村社会」も要因としてあっただろうと思います。


出ていきたくなるのは
・あまりにも変化がない
・あまりにも同調圧力が強い

みたいなところであったのではないかと思います。


これから生まれてくる新しいコミュニティは

・適度に開かれていて、流動性もある
・価値観やライフスタイルの同調性はあるが、多様性へも適度に許容している

みたい風になっていくのではないか、と思います。

 

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【再現性と大量生産】

大量生産はモノ不足時代にはとても大切な社会的技術でした。
そして大量生産のためには再現性(科学性)もとても重要でした。

 

しかし今はもう「モノ不足」ではありません。

 

品質の安定した服が安価にいつでも手に入る時代です。

そうなったときに「自分で服を作る」といった楽しみ方が、人生の楽しみ方になってくると思います。

 

服を買うだけでなく、自分で服を作る。

 

好きなデザイナーさんに自分だけの服を作ってもらう。

 

最高の贅沢ですよね。

 

そういうことがもっともっと普通になってくるだろうと思います。

 

「手間をかける」価値。
「オリジナル」の価値、みたいなことが相対的にもっと高まってくるだろうと思います。

 

自分が本当に素敵だと思うものを着る。なければ作ってしまう。
そういう世界です。