GDPとはなにか

令和になった現在も政府は「GDPが伸びている」「GDPを伸ばすために」といったことを発表したりしています。新聞やTVの報道でも「GDPが中国に抜かれて世界3位に下がった」とか「GDPの伸び率がマイナスになった」といったことを伝えています。

 

GDPが伸びること、伸び続けることが、社会にとって最重要事項かのように、なんとなく、メディアを通して思ってしまうところがあるかもしれません。

 

さて、そもそもGDPとは何でしょうか。何をどうやって測っているものでしょうか。

 

GDPはビジネスの交換量を現しています。売る、買う、という金銭取引が生じたものが記録され、それを国全体で集積した時に「GDP」と呼ばれるものになります。

 

だから、その実態は「日々の、商売のやり取り量」です。

 

逆に言えば「商売」になっていない国民の営みは、GDPには一切反映されません。

 

近所の美しい川でのんびり過ごすことはGDPに計上されません。

お金を払ってレジャー施設で遊べばGDPに計上されます

 

親が子供の勉強を家庭でみて教えていたらGDPに計上されません。

家庭教師を雇って子供の勉強を見てもらったらGDPに計上されます。

 

子供が公園で友達とサッカーをすることはGDPに計上されません。

子供スマホでゲーム内で課金をすればGDPに計上されます。

(公共の公園を造るときの公共事業はGDPに計上されますが、その後子供たちが公園で遊ぶ行為、時間はGDPには計上されません)

 

家庭で、料理を手作りすることはGDPには計上されません。

外食に行ってご飯を食べればGDPに計上されます。

(スーパーで素材を買うことはGDPに計上されますが)

 

こう並べてみるとGDPというものの意味合いがよく見えてくると思います。まずGDPが増えれば増えるほど、国民生活が豊かになったとは単純には言い難いようである、と多くの方が感じられるのではないでしょうか。

 

場合によっては「GDPに計上されない方」を選んだほうが、幸せだったり、楽しかったり、豊かだったりすることもある、と容易に想像されるでしょう。

 

確かにGDPの成長と、社会の豊かさの増進が比例しているように感じられる時代はあったと思います。

 

例えば、マイカーが1台100万円だとします。全国に100の家庭があるとして、10の家庭にだけマイカーがある状態だと、GDPでは1000万円ということになります。

 

これが、マイカーの普及率が増えて(マイカーを所有できる人が増えて)、50の家庭で持てるようになればGDPは5000万円、100の家庭全てで持てるようになればGDPは1億円です。

 

この時、GDPが1000万円から1億円に伸びていったとき「社会全体が豊かになっている」という感覚と、GDPという数値の伸びは、かなり近いものがあるはずです。(ここでは環境問題などは一旦無視して考えています)

 

 

ここからさらに自動車産業によってGDPを伸ばそうとすると、どうなるでしょう。一家に一台ではなく、一人一台にしていけばGDPは伸びます。さらに一人2台、3台と持つようにしていけばGDPは伸びます。伸びますが、しかし、これは「社会全体が豊かになっている」と感じられるものになるでしょうか?

 

「モノ」によって豊かさが感じられるところにはある程度限界があります。勿論、毎年新車に買い替える、一人で何台も所有する、そういうことに「豊かさ」を感じる人もいるでしょうが、感じない人もかなり増えてくるでしょう。「中古の車で充分だ」とか「家族で一台で十分だ」とか「10年乗ってるけど、買い替えの必要は全然ない」といった人もいるでしょう。

 

自動車の例は二次産業のことですが、一次産業でもGDPの観点から見てみましょう。農業や漁業も当然「買ってもらった分」についてGDPに計上されます。(おそらく漁師さんが自分で獲った魚を家で食べる分は、GDPには計上されていないと思います。)

 

ではこの一次産業によってGDPを伸ばそうとするとどうなるでしょうか。例えばお米の販売量によってGDPを伸ばすことを考えてみます。全国民に1日3食、必ずご飯をお茶碗一杯食べてもらったとしましょう。その時の米の販売量がGDPで1000億円だったとします。ここからさらにGDPを伸ばそうとすれば、お米を食べる量を増やしてもらわないといけません。(輸出によって外貨を稼ぐというのもありますが、一旦ここでは置いておきます)

 

そうなると、1日4食、5食、さらに1回の食事でお茶碗二杯、三杯と食べてもらうことでしかGDPは増えていきません。(キロ当たりの価格を増やすことについても一旦おいておきます。重要なことですが、これについては後で説明します)

 

これは、どう考えても無理があります。一次産業におけるGDPは「国民のお腹の具合」である程度決まってしまっています。ちなみに一次産業GDPを増やそうと考えると「お腹いっぱいにするのにより高級食材の比率を高める」ということによってのみ、一次産業GDPを高めることができます。つまり、100円でお腹いっぱいになるおにぎりではなく、5000円でお腹いっぱいになるステーキを食べれば、GDPは伸びます。但し、このことは「世界規模で見た食糧問題、環境問題」につながることなので、安易にこの道を選ぶことはできません。

 

※ここで「貿易黒字」を思う方もいると思います。貿易黒字は、自分たちの生活を豊かにしえるものです。その黒字分を使って、海外の品を手に入れたり、海外のサービスを利用したりすることで自国内の生活が豊かになる、ということはあります。但し、ここについてはこの記事では詳細は書きませんが、「ドル建ての貿易黒字」というのは大問題で、これは国民生活に豊かさとしてほとんど還元できない状態になってしまっています。この記事では「貿易」については一旦、外して考えています。

 

【買う側の懐具合】

GDPは基本的に「売買」が計上されるものです。

 

だからGDPが増えるには、買う財力も増えていかないといけません。これは基本的には国民の「所得」、つまり給料などが増えていかないといけません。国民全体の給料の総額です。

 

 

ミクロで見ると給料というのは「会社の売上・利益から人件費として払い出されるもの」ですが、マクロ(国単位)でみると、どうなっているのでしょうか?

 

中央銀行⇒銀行⇒会社⇒市場

 

実は、これは中央銀行が決めているのです、少なくとも決める役割を担っています。(そして、実行部隊として、銀行はとても重要な役割を担っています。銀行が「貸す」と判断することで、本当に市場にお金が流通していくことになるからです)

 

市場で出回る「お金の総量」は、中央銀行が差配しています(しようとしています)。

 

それをコントロールすることによって「デフレを防ぐ」とか「緩やかなインフレに導く」ということができる、という考えのもとにやっています。

 

これは、実は、とてもおかしなことだろうと思います。

 

実は、GDPを増やしたいのなら、それは簡単なのです。中央銀行が、どんどんお金の流通量を増やせばいいのです。そうすればGDPは増えます。というか、増えるはずです。

 

(そして実際にそうしようとして、マイナス金利なるものまで登場させましたが、GDPはほとんど増えていません。実際にはなぜGDPが増えていないのかについては別途書きたいと思います)

 

(実際にGDPが増えていないのは世の中が「もうこれ以上いらない」と言っているからです。お金が余ってしまっているのです。お金が余っているとはどういうことか?と生活感覚からすると思われるかもしれませんが「投資先」がどんどんなくなっているので、お金はだぶついています。「投資」はリターン(利子)が見込まれるところにします。人口拡大フェーズではリターンを見込むことは減少フェーズよりずっと容易でした。今は成熟社会で、ほぼほぼビジネス化は進められてきていて、もう魅力的な投資案件が残っていないのです。そういう社会における最善手は「金利を捨てて“休め”」だと思うのですが、これもまた別途書きたいと思います)

 

 

 

人口1千人の国で、労働者たる市民の平均所得を500万円にしようと思ったら、50億円はお金が流通されている必要があります。

 

そしてここに、もう50億円流通するように、中央銀行(及び銀行)がお金を回していけば、単純に考えれば、平均所得は1000万円になり、さらに高いものが「買える」ようになり、GDPは増えるのです。

 

さて、お気づきでしょうか。GDPというのは人口×平均所得というのが大きな要素です。(売買を測っているわけですから、売る方だけでなく買う方も必要です)

 

なので、人口が増えていく局面では、基本的にGDPは増えていきます。昔の日本がそうであり、少し前の中国や、今のインドなどがそうです。GDPはどんどん伸びていきます。

 

では人口が横ばい、ないし、減っていくという局面の国のGDPはどうなっていくのでしょうか?

 

それは、自然に考えれば、減ります。もし、それでもGDPを増やしていこうと思ったら平均所得を増やす以外にありません。そのためには、お金の流通量を増やすしかありません。

 

さて。

 

お金の流通量が増えると何が起こるでしょうか。それは単純に言うと「価格」が上がります。売買価格が上がるのです。

 

今まで1台100万円で取引されていた型の自動車が、突然一台200万円で売買されるようになります。そうすると、GDPは増えるのです。

 

そしてこの増えたGDPは、社会の豊かさを増したと言えるでしょうか?全く言えないのです。価値、は高まっていないからです。ただ、価格だけが高まっている。それでもGDPは上がったことになります。GDPというのはそういう代物です。

 

全く同じカローラが、去年は100万円でした。今年は200万円で売買されています。そうするとGDPも倍になっています、ということです。

 

そのカローラの性能が上がったわけでも、カローラに乗ることで得られる利便性や楽しさが増したわけでもなく、ただただ「取引価格」が高くなれば、GDPは伸びます。

 

 

【価値と価格】

 

自動車のエンジニアが、一生懸命仕事をして、乗り心地を良くして、安全性能を高めて、機能を増やして・・・そしてフルモデルチェンジして販売された新車は、旧車と同じ販売価格で200万円。そんなことは普通にあります。

 

そうなるとGDPは増えません。価値は増えているのに、価格が上がらないとGDPは増えないのです。

 

なぜ価格が増えないかと言うと給料が増えていないからです。マクロで見れば、価格が上がるということは、買う側の給料が増えるということとセットです。

 

「人口維持社会」では、基本的には給料が増えません。GDPは増えない。価格は変わらないようになりやすいようです。価値は高まっても、価格は増えないとか、価格は基本的に決まっていて、相対的な価格調整に入る、ということです。(テレビより、スマホの方が相対的に価格が高い、となるようなことです)

 

でも、価格が高まらなくても価値は高まっていきます。そして、それでいいのです。より安全で高機能な車が、以前と同じ価格のまま手に入る。それでも社会の豊かさは高まっているのです。

 

重要なのは価値であって、価格ではありません。

 

遊びのようですが、今持っているみんなのお金に「0」を一つ、みんなでいっぺんに足して使えば、GDPは10倍になるのです。少なくとも貿易を無視した国に閉じた系で考えれば間違いなくそうです。

 

そんな数字にはほとんど何の意味もありません。重要なのは、実体経済、本物の価値の方です。

 

私たちは、急いでGDPに変わる「社会の豊かさ」を現す指標を開発する必要があるのだろうと思います。