金利の影響

金利は無限成長を求める

 

※「GDPとは何か」の続編の記事になります

 

金利はその性質上、無限に成長を要求することになります。だから、GDPを伸ばす方に社会を駆動させようとします。

 

それはありとあらゆるものを「ビジネス交換化」していこうとすることになります。

 

金利」は、その性質上、成長を求めます。「もっともっと」というのが、金利の性質です。(性質そのものに良い悪いはありませんが、状況に合う、合わないはあります)

 

この70年ほどで、都市化も進んでいます。1930年代ごろに一気に都市化が進んでいます。

 

 

稼げる仕事が都心に多いので、都心に人が出てくるようになります。そうするとある種の「他人同士のコミュニティ」が出来上がってきます。

 

これが金利にとってはとても好都合で、相性が良いものでした。

 

地方では、例えば「漁師さんが、ご近所さんに魚を振舞う」「お礼に、漁師さんの子供に勉強を教える」などといった、お金を介さない物々交換が行われもしますし、それが成立しやすい面もあります。

 

しかし都心では、そのような人間同士の関係性が希薄です。その代わり、お金はあります。そうすると「サービス業」が盛んになってくるのです。

 

近所のお兄さんに勉強を教わるのではなく、家庭教師を雇う。

料理を持ち寄って食べるのではなく、お弁当屋さんで買ってくる。

 

このようなサービス業が成立しやすいのが都市です。

 

働くことに忙しく、料理をする暇がない。だからお弁当屋さんがあると助かる。このこと自体は何も否定されるものではありませんが、但し、ここには落とし穴があります。

 

「近所のお兄さんに勉強を教わる」ということと「家庭教師を雇って、勉強を教わる」ということは、どちらの方が豊かでしょうか?どちらの方が幸せでしょうか?

 

これは「分からない」のです。それは主観で決めることだからです。

 

しかし、金利(の影響)が隅々までいきわたった社会においては「家庭教師を雇って、勉強を教わる」ことの方が、よい社会ということになります。なぜなら、その方がGDPが高くなるからです。金利を返済できるからです。

 

実は金利によって、社会全体が、望むと望まざるとに関わらず、そちらの方向に選択させられていく・・・・このことは大問題だと思います。

 

極端な言い方をすれば「親や近所の人が子供の面倒を見ることを法律で禁じて、家庭教師業を使うことを奨励する」ということをすれば、GDPは増えます。社会から豊かさがむしろ減っていたとしても、です。

 

実際に子育て世代は「学費もかかる。塾のお金もかかる。だから頑張って稼がないと。仕事が忙しくて子供の勉強を見ている暇はない」というような構造になっていることがありえるわけです。

 

これは、立ち止まってみれば「うん?おかしくないか?」と分かることです。

 

 

GDPを伸ばし続けよう、金利付きでお金の流通量を増やし続けよう、そうするとその力学によって「総ビジネス交換化」が進んでいくことになります。社会全体の豊かさが棄損されても、です。

 

助け合いも、持ち寄りも、お金にならないので、どんどんビジネス化していこうとすることになってしまうのです。

 

実は「三次産業」つまりサービス業は「その流通量が増えれば増えるほど、社会が豊かになっているもの」ではありません。なぜなら豊かさとはきわめて主観的なものだからです。

 

ですから「経済交換量(GDP)」は維持程度で十分です。

 

と言うよりもむしろ、実は経済交換量はITなどの技術の発達によって減っていきます。そして減っていっていいのです。

 

総ビジネス化が行き過ぎると棄損されるのが「相互扶助の精神」のようなものです。全て損得勘定で考えるようになります。「無償で支え合う」ということは、損ですからやりません。人間関係資本は、どんどん棄損されていきます。

 

それが金利の力なのです。

 

人間関係資本がとんどん棄損されていってから、さらにそこに「特許」が加わると大変な社会的混乱が生じるでしょう。

 

社会全体の豊かさは、GDPのみで測ろうとするとおかしくなります。貨幣経済+非貨幣経済の合算で社会全体の豊かさを見ていくべきです。技術の進展によって貨幣経済が縮小しても、非貨幣経済が拡大していれば、社会全体としてはより豊かになっている、ということは十二分にあり得ます。

 

なお、個人的には貨幣経済も必要だとは考えています。というのは「課税」が、非貨幣経済ではしにくいからです。徴税ができないと、国や行政としてやることができなくなります。国防、防災、教育、医療などは、税金によって賄われていて、これらの機能を維持するには「徴税」はどうしても必要だからです。

 

【利回り商品、金融商品。特に「住」に関する】

 

コロナ騒動で、世界は不安でいっぱいなんですが、なぜそれほど不安にならないのといけないのか。

 

まず、ちょっと考えてみれば「衣食住」がまかなわれているんだったら、それほどあたふたせずに済むというのは想像できると思います。
 
衣、はまぁそれほど緊急性もないので大きな問題ではないとして
 
食と住。
 
 
これに対して「土地持ちの農家」の人とかは、やっぱり強いです。自分の土地家を持っていて、食べるものもある、作れる。そうだとしたら、まぁ世間が騒いでいても、生きてはいけるという土台の強さがあると思います。
 
 
大きな部分は「住」だと思います。
 
多くの人が「住居費」を負担していると思います。
ほとんどの場合それは「家賃」か「住宅ローン」ということになるでしょう。 
 
これは、両方とも広義の金融商品です。
 
極論ですが(そして、極論というのは物事の本質を炙り出す際にとても大事なことだと思っていますが)、家賃や住宅ローンという金融商品がなければ、コロナ騒動(リーマンショック以来の経済停滞みたいにも言われてますね)でも、そこまで不安を感じないで済むのじゃないかなと思います。
 
 
私は研修講師といった仕事をしていますが、今この講師業もなかなか大変な状況です。役者、歌手、飲食店経営、イベント設営・・・・などの仕事は今かなり苦しいところが多いのじゃないかと思います。
 
 
そして「収入がなくなるかもしれない。家賃を払えなくなるかもしれない」という不安は、とても大きな割合を占めているかもしれません。
 
 
 
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ひとまずの対処としては「家賃を下げる」というのは現実的に検討されるべきことなのかなと思います。家賃という大きな固定費が下がれば、破産するみたいなリスクはやっぱり下げられます。
 
日本全国でいうと「空き家」が問題になっているくらいで、本当は住む家はたくさんあります。
 
ADDressという素晴らしいサービスがあって、全国住み放題月額4万円とかでやってます。こういうものを知っているだけでも、実は安心感が増すかもしれません。「いざとなったらADDress暮らし始めてみるか」みたいな。
 
 
大家さんたちは住人に逃げられて困るかもしれませんが、その困窮度は相対的に高くないだろうと想像されるので、この緊急のご時世、一旦ありじゃないかなと思います。
 
 
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短期的に解決できるかはおいておいて、本質的に考えるとこの「家賃」「住宅ローン」というのは、違うようで、ほぼ似たような性質を持っています。
 
どちらも「利回り」で計算されているということです。
 
 
10年で壊れる10部屋のアパートを1億円かけて建てたとします。
 
そうすると、1年で1000万円以上家賃が取れて、それが10年続けて「儲かった」ということになります。
 
そうすると、1年1室100万円、月額8万円強の家賃を取ればいいことになります。
 
でも空き室のリスクなどもあるので、家賃を10万円くらいに設定します。そうすると、常に満室なら年間1200万円、10年間で1億2000万円の家賃収入になり、1億円投資して、2000万円儲かった、ということになります。
 
こういった考え方をしながら「家賃の相場」というのは決まっていくわけですね。
 
そしてその際に「色々問題が起こったとしても、ほぼほぼ10年で利益が出るくらいの家賃に設定する」ということになります。もしアパートが10年で壊れなくて、そのまま住み続けることができたら、アパートを建てた人は、そのあとは膨大な「収益」を得ることになります。
 
まぁ、だから、ロバキヨの本とかでも「不動産による不労所得」がとても推奨されていたわけで、今の経済システムのなかだととても合理的な発想だと思います。
 
 
家賃収入と言うのは「土地」なり「空間」なりを所有して、そのスペースの「利用権」で収入を得るということです。だから、土地を一旦買ってしまえば、それ以上の原資はありません。原資以上の収益が出てきたときは、ひたすら収益だけが積み重なっていく、というものです。(建物は老朽化するので、土地と同じには言えませんが)
 
 
で、問題は、この「家賃収入を取る側」をやれる人は限られています。かなり、です。そしてこれは普通に「格差拡大」の機能を果たします。意図しようが、しまいがです。
 
なぜなら、例えば「利回り」を取ろうとしない公営住宅があったとします。もしそういったものが存在していたとしたら、この住宅は「11年目以降家賃は無料」になります。
 
そしたら、住人の可処分所得は増えます。家主という職業はなくなりますが。 
 
でも、この不動産による利回りを社会的に普通においていると、「利回りがない場合と比較して」住人の可処分所得は減り、家主の所得は増えます。これはほとんどの場合、格差拡大へと機能するでしょう。
 
ちなみにお金持ちは、多くの場合、不動産を買う時はできる限り「キャッシュで一括」で買います。利息を払わなくていいからです。
 
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住宅ローンというのもそうなんですが、今は金利が低いので、住宅ローンを貸す側の取り分は減っているとはいえ、似たような構造を持っています。
 
3000万円の家を買うのに35年ローンを組む。そうすると返済総額は例えば4500万円とかになったりします。
 
 
・・・まぁ銀行などがやっているわけですが、銀行は「ローンを組むときの手続きの対応1ヶ月」くらいの労働で、35年かけてですが1500万円の収益を得るということになります。
 
それが住宅ローンというものですね。
 
 
もちろん、貸したけど返せなくなった人もいる、リスクを背負って貸している、わけですが、とは言え「そういうリスクも計算したうえで、利率を考えている」わけで、勝ちの見えた勝負をしている、みたいなところはあります。
 
保険業界もそうですが、そのリスクの確率の計算をプロがやっているわけなので、危ない相手にはそれだけ利率を増やすわけですから。
 
資金を持っているところは「貸して、利回りを取る側」をできますが、そうでない人たちは必然的に「利回り分を上乗せで取られる側」になります。今の社会システムをただ観察すると、そうなっているのは間違いありません。
 
 
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果たしてこれらの金融商品を、今後も普通に社会に流通させ続けていくのかどうか、それはちょっと考えてみてもいいと僕は思っています。
 
今すぐにドラスティックに変えるということは、社会的な痛みも大きくなってしまうでしょうけれど、中長期的には変えていってもいいかもしれません。
 
「どんな住宅事情の国がいいか?」ということについては多様な意見があるでしょうし、それについても国民レベルで色々議論出来たらいいなと思いますが、
 
極論を言えば「ベーシックインカムじゃなくて、国民全員に(最低限の)家は支給される」みたいなことだって、不可能なわけじゃないと思うわけです。
 
コロナが落ち着いて「で、これからどうしていく?」って考えるときに、こんなことも考えながら、自分たちで考えた理想像を、一緒に創ってくれそうな人を国会とかにどんどん送り込んでいく。
 
そんなプロジェクトやるんだぜ、みたいなことも、結構楽しいんじゃないかなとか楽観的に思ったりもしています。

 

【株価と株式市場】

「NYダウが暴落しています。世界の経済はダメージを受けています」
「各国政府は金融緩和施策を打っていますが、市場の反応は鈍いのです」
 
そんな抽象的な言葉が、ニュースで仰々しく並んでいました。
 
 
株価が下がった。
株価を上げようと政府が金融緩和施策を打った。
でも(市場において)株価は上がっていない。
 
という事象の本質を、どれだけこの人たちは考えたことがあるのだろう?と批判的な気持ちがわいたりします。
 
株価が下がるというのはある会社の株を「買う人より売る人が多い」というような時に起こります。
 
売った、ということは手元に現金があるという状態です。
 
あるお金持ちの手元に「現金が増えている」というのが株価が下がる、ということです。
 
(もちろん100万円で買った株を50万円で売ったらいわゆる損をしています。損をしていますが、株を持った状態は手元に現金はありません。株を売れば、手元の現金は、株を持った状態よりは増えているのです。ここで簡単に「お金持ち」と言っていますが、お金の余裕がない人で株式投資にお金を回す人は多くはないでしょうから、分かりやすさ重視で「お金持ち」と呼んでいます)
 
 
さて、この「増えた手元の現金」はどうなるのでしょう?
 
 
このお金持ちたちは、日常生活で使い切れないお金を持っていて「さらにお金を殖やす」ために、次なる投資先を探しています。
 
でも、投資先(買うべき株)がないのです。だから手元で現金で持っておくしかない。それが株式市場で株価が下がった、ということの実態です。
 
 
分かりやすく詩的に表現すれば「お金がだぶついている」という状態です。それが株価が下がっている、という状態なんです。
 
だから「世界的に株安になっている」「世界経済は大丈夫か」などと言うんですが、これは「世界的にお金が余っている、だぶついている。お金持ちはお金の使い先がなくて困っている」ということです。
 
 
 
株安になっているということは「お金がない」のじゃなくて、「お金がだぶついている」ということです。そのことを認識するだけでも、世界の見方が変わってくるんじゃないか、と思います。
 
 
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そうなると問題は、「なぜお金がだぶついてしまうのか」ということです。それは今のお金は「殖やす」ことを目的に存在してしまっているからです。
 
お金がだぶついているのなら、必要なところに「使う」ようにすればいいじゃないですか。それが普通の感覚じゃないかと思います。
 
お金を必要としている領域はいくらでもあります。お金を必要としているNPOをいっぱい見てきました。(当たり前ですが、NPOは株式市場に上場していません)
 
児童虐待を防止しよう、自殺を減らそう、環境問題を解消しよう・・・・そういったことのために全力を尽くしているNPOがたくさんありますが、その多くのNPOは資金的に苦しかったり、回ってはいても「もっと資金があればできることがもっとあるのに」という状態だったりしています。
 
だぶついているのなら、そういう社会的に価値ある活動にどんどん回していけばよいのに、そうはなりません。
 
 
なぜならその活動に資金を投じても「殖えない」からです。お金が殖える目論見がない。理由はただそれだけです。「金が金を生む」というところ以外には、お金は回ってこないように今の社会システムはなっているのです。
 
 
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だとすれば、問題は株安なんかじゃないのです。「必要なところにお金が流れない」という今の社会システムの方が問題なのです。
 
それは富の集積と分配、富の流れに関する社会システムの問題なのです。純粋な意味でお金が「使われる」ことはまずありません。お金が減っても世界がよくなったんだからいいじゃないか、という使い方は、今のお金は仕組み上、性質上、ほとんどできないことになっています。
 
金利という概念の問題なのです。