役立たずの命が尊重される世界

一つ前の記事「未来予想図」で描いた世界では、

 

命は、自分だけのために使って問題ありません。ファーブルのように「毎日昆虫を見ていたい」のなら、見ていていい。さかなクンのように毎日魚を観察していたいならしていていい世界だと思います。

 

誰の役にも立たない、いわゆる仕事、奉仕活動といったものをしていない。そういう存在、命も尊重される世界とイメージしています。

 

もちろん、自分の命(時間)を、他者を喜ばせるために使うことも素晴らしいことですし、それが自分の喜びから始まっているとか、自分の喜びを伴っているのなら、文句なく素晴らしいことだと思います。

 

そして、この世界では「先天的な病気をもって生まれて、ただただ治療を受けるだけの命」もまた、尊重されるだろうと思います。「財政的にはコストなんだよ」なんて扱いは受けない世界。

 

「役に立つ」ことが常に求められる世界では、役立たずは居場所がなかなかありません。

 

でも世界には、役立たずもいていい。役立たずという個性もある。そういう世界観だってありえると思います。