【議事録】市民アジェンダ創造対話第1回+第2回

これは、第1回(2020年4月23日参加者6名)と、第2回(2020年4月24日参加者13名)との合算の議事録です。

 

そもそもこの議事録を、このblogで共有していくのか、などは今後検討していきますが、今はひとまずここで公開します。

 

まず前提としてかぎかっこ内の「発言」は速記録です。一言一句文字起こしをしたようなものではないことをご承知ください。意味が分かりにくいところなどもあると思いますが、正確性を目的としたものである必要はないという認識です。


一言一句を読んでいただくようなものではなく
・「こんな関心ごとが出てきたんだなぁ」と全体を眺めていただく
・「こんな関心ごとのボリュームなんだなぁ」と、ボリューム感を感じて頂く

 

そんな風にして「眺めて」いただけるとよいかなと思います。


今仮に13のテーマに分けていますが「このテーマとこのテーマは関連性が高い。統合しよう」みたいなものもあれば「これは分けた方がいい」ということも出てくるかと思います。分類のネーミング、ラベル付けもより適切になっていくかと思いますが、ひとまず「スタートではこんな程度で分類した」くらいに思っていただければと思います。


自分としては「延べ100人の民意が可視化される」みたいなところまでは、ひとまずやってみたいと思います。その中で、ログの残し方そのものも進化させていければと思います。

 

 

■1.お金・経済・働き方
☆お金の発行の仕組みはどうあるべきか?
ベーシックインカムは是か非か?どうしたら実現されるか?
☆「お金」と「ベーシックインカム」に「働き方」を加えて「どんな経済社会をイメージしているか?」というようなアジェンダもいいなと思います。
☆政府の活動を評価する指標としてGDP以外にどのような指標でみるとよいか?

 

ベーシックインカム。お金という形かは別として、人々の暮らしが保証されている、ということ。人が、人生を全うできることをみんなで応援する世界がいい。

 住まいや食べるものが保証されるとか、空き家だったりとか、資源使えるのではないかとか。市民一人一人にというより、農家を保証して、市民が食べていけるとか、そういう社会がいいなと思っている。

 ベーシックインカム、自分はそういう生活をしているなと思っている。里子を受託していると、月々15万円里親手当が入ってくる。虐待など色んな理由で保護した子供を、施設の代わりに家庭で養育する制度。私は子供が大好き。てんやわんやしているが、子育てしていると収入になる。自分の中ではベーシックインカムみたいだなと。

 海外では、障がい者と一緒に暮らすことでそうなっているみたいなこともある。当たり前にある。海外では「施設」がない。アメリカ、ヨーロッパでは廃止されている。地域で暮らすのが大前提。

 障害のある人達が、いかに人生を全うしてもらえるか、真剣に会議していた、それが仕事だった。福祉の仕事。それでお金をもらっていた。人生を豊かにすることがお仕事で、補助金で、お金をもらっていた。

 もっとそれが、広がって、一般の人、福祉の人間でなくてもだれでも里親にはなれるし、共に生きるということに、そこにお金が保証されているという、そういうのって、もっと、広まっていって欲しいなぁと思っている。」


「教師の労働環境なども問題視されている。民間が教育のことに口出しするのはタブーだった。ここ1~2年で少し変わってきた。教育業界、予算がない。対価と見合わない部分が多かったりして。教育現場だけでなく、お金になる仕事と、社会的意義のある仕事、必ずしもイコールでない。」

 

「働き方。ベーシックインカムもその一つ。」

 

「国の財政なども含めて、いろんな人たちと、丁寧に一緒に学びながら、ああでもないこうでもない、という議論が大事だなと思っている。市民アジェンダの活動でできるといい。

 個人的には、産業の生産性は上がっている、本来なら働く時間は小さくなるはずだけど、そうなっていない。逆にみんな忙しくなっている、それはちょっとおかしい。そうでない経済の仕組みに入っていけたらいい。それが根本にある。

 お金の発行の仕組み、ここがある。この問題を共有して、解決していけると言い。その議論の延長線上に、ベーシックインカムのような方法論が出てくるのではないか。そういう議論が大事だと思っている。働き方も、eumoの活動に関心があって、Iさんのシェアで見た。

 本来、人間の働き方は、できることをそれぞれがして、それを与え合えば、それで世界は回っていくんだと言っていて、それを流すためにお金があるはずなのに、それが溜め込めるがゆえに、溜め込んだ人が権力を持ってしまって、お金を得るために働く、という逆転現象が起こっている。それを戻す活動をみんなでしていけるとよい。」


「どれもこれも関心あるがお金、家賃もそうだが、「お金の発行の仕組み」「金利」ウェイトが大きい。

 なぜか。震災のあと、社会全体のこと考えなきゃだめだ。「考えようよ」といっても、「ちょっとごめんなさい、自分のことで手一杯なんで」という反応。「手一杯じゃないようにする」→「会社のコンサルティング」会社の中でも「生産性あがっているのに忙しい」→「同じ部署の人のことさえ考えられない」。そこから「同僚なら」→「他部署も」→「会社全体」へともっていく。

 「金利」がものすごいことやな。と自分の中でなっていっている。「お金」の貯めてしまえる機能。社会の隅々まで行き渡っている。お金には基本的にすべて「金利」がついている。「増やしていこうとする」GDPなど。「悪意なく持っている」ことがすごいこと。

"スペース"とか"余裕"を奪っている。おかあさんがゆっくり、赤ちゃんにおっぱいをあげていると。誰も悪いわけでないんだけれど、金利金利のままにおいておくと、ぜったいそうなる。そこにメスを入れなくてもできることはあるんだが、そこにメスを入れないと"スペース"を奪われつつけるままでは。「共通認識を持つ人が増えたら」半分以上の人になったら。」

 

「家賃も同じで、今のマンションの作り方も、金利から。金利を払ったうえで利ざやをどれだけとれるかという設計をされている。コロナで露呈しているのは「家賃」の支払いで苦しんでいるということ。それでみんなの"スペース"が奪われている。」


■2.民主主義
投票率が高まるためにできることはなにか?
投票率を高めるには?
☆議会を意義あるものにするために必要なこと
市民社会を強くするにはどうしたらいいか?

 

「今の自分のミッション。なかなか難しい。議会を中から見ているが、外からみたときに、どう見えるか、気づくこともあるといい。自分自身は、「みんな違う」と思っているし、考えていることは分からないという前提で話している。どうやって一つのものを生み出していくか、それを課題として。「みんなが気持ちよく生きる」は理想。自分が気持ちいい場所にする、というのが、ある意味自己中心的な。」

 

「自分もテーマとして感じている。正直、理想をいうなら、社会に対するディスカッションの場を、頭のいい人たちでやってもらって、見てるだけで勉強になる・・・として欲しい、というのが正直ある。

 会社のなかで、自分たちが主体性を持って、会社をどうよくするか、考える、ディベートしてみる、などはとても価値あるものになっている。なぜ、議会がそうならないのか。不満を感じている部分もある。国会の審議など質を上げられないか、と感じている。自分の中でごちゃごちゃしているが、気になっている。」

 

投票率が低い、議会が機能していない、その問題を、つきつめて考えてみると、市民社会が機能していない、おおもとにその問題がある。

 滋賀などは、古い共同体社会みたいなのがあるが、個々人の働き方、生活が、バラバラになって、個人的な違い、多様性が増しているなかで「みんな一緒、頑張ろう」というのが難しい。

 個々人が、流動性を持って参加する市民社会、それがうまく作れていないのが日本の社会なのかな。市民が個々人で、参加する形で小さな活動をたくさん作っていく、そういう文化、流れができないと、結果的に議会や投票率の問題も変わっていかないのでは。」

 

「健全な投票率は100%なのか?健全な投票率は?適切な投票率とは何%なのだろう?から話してみたい。」

 

「経済の仕組みと、市民社会。これはワンセット。世の中の全体、どの範囲で捉えるか、いろんなレベルがあるが、小さなコミュニティ、国、いろんなレベルがある。

 社会全体のことを配慮できる、弱い立場の人も配慮できる、配慮する責任感を持った人。それを自分は「大人」と呼んでいる。経済社会の仕組みは、アダムスミス、神の見えざる手みたいなことになっていて、それぞれ自分の私利を追求すれば調整されるということになっているが、そこの感覚を変えていくこと。そもそも市民社会みたいなことは、大人という感覚が、大事だと思っている。」

 

 

■3.平和・信頼
☆平和な世界が広がる効果的な仕組みとは?
☆どうすれば信頼がベースの社会になれるか?

 

「どうしたら信頼をベースに生きていけるか?信用と信頼をわけている。見返りの確証があるのが信用。なくてもするのが信頼。クレジットカードとトラストカード。クレジットカードは保証されているもの。トラストカード、というものはない。確証はないけど信じる。そういう関係性をどうしたら築けるのか、社会全体で。

 どんな形でも、今は「証明」しないといけない。それが前提にあるように感じる。違和感があるのは、信頼って勝ち取るものだっていうニュアンスがある。信頼される人、信頼される方法論はたくさんある気がする。

 自分は「信頼する」側の問題だと思っている。信頼する技術の本がホントはいっぱいあったらいいのに。基本的信頼、信頼をベースにした社会に。そういう組織、どうすればそういう世界が存在できるのか?」


「特定の誰かがものすごく責められる、という社会のあり方ってどうなんだろう・・・という問題意識がある。コロナのことでも、誰かのせい、というような。誰かが悪くて、その人が努力が足りないとか、能力が足りないとか、責められてもしょうがない、というような。どうしたら助け合いながらの社会にしていけるか。社会のありようみたいなこと、それが変わっていけるような、そういうことの力になっていけたらと思っている。」


「善悪のジャッジがなくなる世界だといいな。「誰が悪い」みたいなことをニュースでやっていると「しょうもな」って思っている。大人がそういう世界を今は見せている。子供にどんな大人の姿を見せるか。それぞれの個性が尊重されていたり。

 日本のルーツとか、戦後もみ消されていったことだったりとか、歴史、神話などの成り立ち、それをあんまり社会の人が知らない。知ることで、国民性が復活するのではないか。いちばんちいさい社会は家族だと思っている。ルーツを知っている、親のこと、ご先祖様、それがすーっと繋がったらいい世界になるのではないかと思っている。」

 


■4.学校教育
☆これからの学校教育はどうあるべきか?
☆これからの学校教育のあり方に関心あります。

 

「ただ働いていると分からないが、会社でも、内部留保の意味とか、波を吸収している価値など、そういうことを知らずにいると「なんで給料あがらないの?」と不満になったりするが、そういうことが国という単位でもあると思う。それを、学校で教わりたい。社会保険とか、確定申告とか、源泉徴収とか、教わったことがない。教わる場がない。学校教育で教えて欲しい。」

 

「幼児教育や、社会教育も関連するが、子供教育事業をやっている仲間がいる。そこで議論されているのは「人間性」。狩猟採集民として過ごす時間、それで生物として進化してきた。いまそれがない。

 学校にあがる前の、幼児の過ごし方を変えていかなといけないのではないか。一方で、そういう幼児期を過ごした子たちが、逆に普通の学校になじめない。えんえん一方的な講義をきかないといけないというのがなじめない子たちがいる。時代に即していない。

 市民アジェンダの場と繋がっていると思うが、先生が一方的に知恵をおしつける場ではなく、子供たちが自分たちが関心を持ったり、学びたいと思ったものを学べる場になったら。オランダの教育などは、公教育で実践している事例もあるよう。そういうことも学びながら。」

 


■5.少子化
少子化

「3児の父です。この子たちの未来、どうなるんだろう。子供一人にかかる負担が大きくなる。今回コロナ。予算、設定して、それを返していくのが、子供たちの世代?

 高齢化も進む。税金、高齢者対策、子供たちは、負担がすごくあるのではないか。一方で、少子化をテーマにするとプライベートなことも話になる。体的にできない、つくらない、いろんな個人的なことがある。そこで国会議員が「子供3人産んでください」というとバッシングされる。そうなると、議論も進まず、子供は少なくなる一方かなと。どうにかして少子化を克服できないか。そういう国からのサポートをできないか。子供が、一人、二人、3人でも増えていく。それについて話したい。」


■6.多様性
☆どうしたら多様な人たちが平和的に暮らせるのか?その仕組みとは?
☆適者生存ではない、棲み分け社会の創出(社会生態学
☆違いの中で何かを生み出すには・変わり者が変わり者でいられる社会
☆みんなが気持ちよく生きるには

「私の妻は引き籠り気質がある。すごく、感受性があり、、ちょっとしたことにこだわる、気にするタイプ。動きが遅かったりする。フラストレーションを感じることもある。あることにはすごくがーっと頑張れる。人とのコミュニケーションは苦手。そういう人が自信をなくしてしまうということが社会で起こっていると感じる。facebookなども、言葉にするのが得意な人は出られるけど、言葉にするのが苦手な人も、そのまま存在できるというよな場所、居場所があるようにしたいなという気持ちがある。」


■7.住居・家賃・コミュニティ
☆市民出資・非営利の賃貸住宅コミュニティの整備ー人間らしい生き方・暮らし方・働き方ができる土壌づくりー

 

「人が、子育て世代、色んな大人がいて、共に育っていくのが大事だと思っている。本来、そういうなかで、能力が開発されていく。居住環境とコミュニティが今劣化していると感じている。住宅ローンか、賃貸か、となっているのが大半なのが現状。市民が自分たちでお金もだしあってということ。家賃というものも、ただ「家に住む」だけでなく、地域のコミュニティ活動、自治会費、そういう自治にいかされるような家賃の払い方、すでにそういう事例もある。普通にそういうことがある社会にしていきたい。政策も、そういうのを前提にしていない、というのがある。」


■8.環境問題
☆環境問題(⇒他の種との共存、⇒日本の四季は守れるのか)

 

「専門家とか詳しいとかではないけど。冬が寒くなくて不安を感じる。四季がなくなってしまう?感情が動く。そこに対する政策、どうしたらいいのか、などは探求を深めたい。一人で変えられることじゃないから、みんなで考えたい。」


■9.挑戦
☆誰もが社会実験を起案し、協力と投資を集めて実践しやすい状況をつくることー失敗を恐れずに、結果を急かされずに。リソースの持ち寄りとリスクの分有ー

 

「いろんなアイデアは出るが「これでやりたいんです」となかなか言えないと感じている。社会起業なども、カリスマ性や、覚悟がある人、それがぐっとリスクを取ってやる、という状況だと思う。なんかすごい能力や、すごいお金がないと、すごい発信力がないと、できない状況。

 投資、というものも、上手くいかなかったら借金してアウトだよね、だと誰もできない。いろんな人が色んな実験をするのが、すごく大事だと思っている。一緒にやろうと、無駄になるかもしれないけど、あちこちで起こるのがいいと思っている。NPOというのはそういう役割と思っている。社会全体の中での研究開発プロジェクトを担っていく、それに投資をしていくのが寄付なのだ、それが起こりやすくなるといいなと思っている。そういうことがバンバン起こるようにできるといいなと思っている。」


■10.競争・弱肉強食
新自由主義・競争社会の終焉(社会生態学

 

「すみわけ、共生、ネットワークの多様性、ドラッカー。私の関心毎は、直接的にはそこではなく、複雑系の構造、極端に振れやすい。ファシズムなども復興してしまう。そういう怖さを感じている。民主主義の最後の砦になりたい。」

 

■11.エネルギー政策
☆エネルギー政策はどうあるべきか?


■12.その他
「世界がよくなればなんでもいい。想いの抜け先みたいなことが気になる。根っこは人。例えば、Iに関心がある。Iが、抜け先のきっかけの一つになるのではないかみたいなことを感じている。自分がやっているプロジェクトも、自分がめちゃくちゃやりたいというよりは、その人が持っている光みたいなことが、そうなったらいいなということ。自分からは話したいアジェンダはない。」

市民アジェンダを創造する対話の場、第2回が開催されました。

一昨日、昨日の、第1回、第2回で感情がたくさん湧いてきていてうまく言葉になりませんが、言葉化したいので(笑)、頑張ります。

 

まず、一言、素晴らしい場でした。
参加してくださったみなさん、このような場を持てる前提となっているfacebookやzoom(のエンジニアの方々)などなど・・・感謝しかありません。

 


「市民アジェンダを創造する対話の場(仮)」としていう名前でやりましたが、ちょっと名前が固かったかもしれません。これも勿論人による好みがあると思いますが。

 

実際に起こっていたこととしては「一人一人が、社会について、安心感をもって話し合ってみる場」みたいな感じでした。この営みに、どんな名称をつけたらいいのか、それ自体も叡智が集まってくるといいなあと思っています。

 

ひとまず


【社会ダイアログ】


これくらいの感じがいいのかもしれません。


第1回は6名、第2回は13名の参加者でした。


僕は、この営みは、大げさでなく「民意が形成される」というようなことになっていくなと感じました。

 

すごくすごく大事なことは、国民、市民一人一人が、素直に「自分の気になっていることを出せる場がある」ということだなと、やってみて感じました。

 

例えば「私は、相続税を撤廃すべきだと考えています」みたいな絞られたテーマを持っている人もいれば「どうすれば責められない、助け合いの社会にできるか?が関心事です」といった抽象度の高いテーマを持っている人もいます。

 

それは、それぞれ「民意」だと思います。一人一人の関心毎が、そのまま受け止められるということ。

 

まずは、それが可視化されるだけでもものすごく意味があるように実感しました。今、重複参加者もいますが、のべ18名の「民意=市民一人一人の関心毎」が、まとめ方の拙さはあるにしても可視化されました(それはあとでまたblogにあげます)

 

これ、すごく大事なことと感じています。そしてこれが、のべ100名、1,000名、10,000名となっていく、ユニーク参加者数でも、そうやって増えていくことがあれば、私の語感で言えばまさに「市民アジェンダが創造された」という感じになるなと思います。

 

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私自身、合計4時間の対話のなかで、笑顔がとても多いのが印象的でした。

 

「政治的な話をするのはタブーという意識があったけれど、こんなに安心して話し合えるとは思いっていなかった」

 

「私も、親から、政治の話はしちゃいけないと教えられたけど、今日は全然大丈夫でした」

 

「言葉にしたりするのが苦手な自分でも、今日は”参加できた”感じがしています」

 

参加者からもそんな言葉が出てきました。


そして、昨日は13人だったんですが、自分以外の12人の「関心ごと」を聞いていくと、すごく世界が広がっていきます。しかも、繋がりも感じながら。昨日は、里親、金利、働き方、報道のあり方・・・色んな関心ごとが出てきましたが、本当に自分の世界が広がっていくのです。


いわゆる「政治」に関心はなくても、国民の一人である、その人自身の「関心ごと」はあるはずです。それがそのまま集まるようなプラットフォームであるといいな・・・と思います。


そして、特に「blogなどで、持論を展開するような言語化能力にたけた市民」だけでなく、そういったことにどちらかと言えば苦手意識があるような”市民”の、その声を、そのままちゃんと大切にされる場。だってどちらも大切な「一票」を持つ市民です。


本当に、一人でも多くの人に体験してもらい、大切な「民意」を可視化していきたい。あらためてそう強く思っています。

 


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少し先には、テーマごとに「深掘りする」ような分科会的なものもやっていきたいと思っています。そこでは方法論としてのディベートを活用して、多面的に検証することや、実際に具体的に「どのような政策がよいか?」を検討するレベルのこともできれば・・・とは思っています。

 

その「議事録が公開されている」というようなことも、とても重要だと思っています。

 

でも、この辺の活動はもしかすると少し先になるかもしれません(あっという間に並行的にやることになるかもしれませんが)

 

「2時間で、オンラインで、10名程度で、社会についてみんなで対話する」ということのパッケージをある程度作っていけると思っています。パッケージに沿って進めていただければ、ある程度「安心してみんなで話し合える」ということもできるかと思っています。

 

ちなみに昨日の場の「予定」はこんな感じでした。

1.オープニング(石川より)【5分ほど】
2.チェックイン(今の気持ち、なぜ参加したのか、など)【15分ほど】
3.アジェンダの共有・確認(一人一人、そのアジェンダをなぜ大切と思うのかについて共有)【45分ほど】
4.アジェンダごとに分かれて対話(with録画、議事録)【30分ほど】
5.全体に戻って「アジェンダごとの対話」についてシェア(議事録を画面共有しながら)【10分ほど】
6.チェックアウト【15分ほど】

 

実際の時間の「実績」はこんな感じでした。
1.オープニング(石川より)【5分ほど】
2.チェックイン(今の気持ち、なぜ参加したのか、など)【20分】
3.アジェンダの共有・確認(一人一人、そのアジェンダをなぜ大切と思うのかについて共有)【50分ほど】
4.アジェンダごとに分かれて対話【30分ほど】
5.チェックアウト【15分ほど】

 

 


まずは、私自身も場の開催の回数を重ねていきたいのと、私以外の方も主催的になっていただいて、どんどん「述べ参加人数」が増えていくといいなと思っています。「参加したい」「主催したい」という方、どんどん声をかけていただければ幸いです。

 

 

 

市民アジェンダを創造する対話、の第1回開催できました。

ちょっと興奮しています。
興奮したまま書くのもいいかなと思うので、そのまま書きます。

まず、こういう対話の場をやりたいですと言った時に、思っていた以上に多くの人から「対話しましょう」と声をかけて頂いて、本当に嬉しいです。むちゃくちゃ喜んでいます。


そして、今日は初めましての方が大勢の中で開催出来て、facebookやzoomといったテクノロジーに本当に感謝です。作ってくれたエンジニアの方々。。。有難いです。

 

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「エンパワーされた市民」

というキーワードが、すごく自分の中に残っていて、ものすごくインスパイアされています。

 

金利が、人々からスペースを奪い、余裕を奪い、アソビを奪っていって、パワーが「資本(お金)」に集まっている。

お金を殖やす「資本家」、金利を収める「生活者」のパワーバランス。

生活者、市民がいかにパワーをもって、パワーバランスを良くしていくか。

 

例えば、企業の財務を見る。創出された付加価値(利益)の分配が「株主8:社員1:顧客1」という企業もあり得るし、「株主3:社員3:顧客4:という企業もあり得る。その情報も参考にしながら「購入する」というパワーを行使する。

そうすると、いい意味で資本家と、生活者とのパワーバランスが緊張するようになる。


それは一つの要素だけど、いろんな面で「市民」とか「生活者」がエンパワーされていくような活動が増えることで、パワーが増していく。パワーが増すと、余裕とか遊びとかも増えてくる。そうするとますます視野広く考えられるようになり・・・・みたいな拡張プロセスが起こりそうな気がしています。


ちょっとここの部分は引き続き、探求していきたいなと思います。

 

役立たずの命が尊重される世界

一つ前の記事「未来予想図」で描いた世界では、

 

命は、自分だけのために使って問題ありません。ファーブルのように「毎日昆虫を見ていたい」のなら、見ていていい。さかなクンのように毎日魚を観察していたいならしていていい世界だと思います。

 

誰の役にも立たない、いわゆる仕事、奉仕活動といったものをしていない。そういう存在、命も尊重される世界とイメージしています。

 

もちろん、自分の命(時間)を、他者を喜ばせるために使うことも素晴らしいことですし、それが自分の喜びから始まっているとか、自分の喜びを伴っているのなら、文句なく素晴らしいことだと思います。

 

そして、この世界では「先天的な病気をもって生まれて、ただただ治療を受けるだけの命」もまた、尊重されるだろうと思います。「財政的にはコストなんだよ」なんて扱いは受けない世界。

 

「役に立つ」ことが常に求められる世界では、役立たずは居場所がなかなかありません。

 

でも世界には、役立たずもいていい。役立たずという個性もある。そういう世界観だってありえると思います。

 

 

未来予想図

 

未来のビジョンは大事で、同じくビジョン実現のシナリオも大事だと思っています。今日は、自分の中にあるビジョンを書きます。


コロナ・パンデミックのあと「どうなるか?」という話がたくさんありますが、コロナ・パンデミックに関係なく「こんな社会を出現させたい」と思っていたビジョンがずっとあります。


コロナがあって、「そんな社会の方がいいよね」となる理由が浮き彫りになってきた、みたいなところもあるので、そういう記述も出てくるとは思いますが。


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私は「ベーシックインカム」はありだと思っています。

「日本国民として生まれたからには、最低限の衣食住は保障されている」というようなイメージです。


日本は今、空き家だらけで「住」は本当は余っています。土地の所有権とか、家賃だとか、色々考えるとややこしくなりますが、まず最初の起点として「家は余っている」というのを大事にしたいと思います。

 

「どこに住むか」「どの家に住むか」を選ばなければ、家はある、ということです。

 

「どの土地に住むか」「どんな家に住むか」は”最低限以上のこと”だとしたら”最低限”住む家は提供される、というのは可能なはずです。手続き上、法律上の難しさはあったとしても「モノがないからできない」という難しさではないはずです。

 

次に「食」です。


日本国民1億2千万人の”最低限の”胃袋を満たすだけの食糧は、1億2千万人が働いて生産しなくても得ることができているというのが現状と認識しています。

 

食に加えて、電気ガス水道は最低限の生活に必要となります。


当たり前と言えば、当たり前ですが「日本全体として、日本人の衣食住を最低限満たす生産能力は今既にある」ということになります。


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それ以上のこと、付加価値をつけることは、考えてみれば全て「余暇」とか「遊び」みたいなものです。

 

今まで私たちが「仕事!」「働くことが大事!」と言っていて「働かざる者食うべからず」みたいに言っていた”働く”ということは、見方を変えれば、そのほとんどは実は、生命の維持には関係のない「贅沢」だったということもできるかなと思います。


士農工商、というのが江戸時代だったわけですけど、これってすごく実は合理的な話だったのかもしれません。

 

士はおいておいて、農工商。

 

農って、食を守ってくれる人たち。
工って、住を守ってくれる人たち。

 

そういう人達って、社会にとってすごく大切な存在なんだよ。

 

農と工があって、商ってのは、まぁ遊びみたいなもんなんだよ、

そんな風に考えて作られた・・・・かどうかは知りませんが、そんな風に解釈しなおしてみるのも面白いかなと思います。


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例えば、食・住に関わる人を、極論ですが、みんな公務員にしてみます。「命を支える仕事」を公務員にする。水道電気ガスの会社も公務員。一次産業者も公務員。

 

この公務員の凄いところは「自分たちの食べる分は自分たちで生産できている」「その上、余った生産能力で、全国民の(衣)食住」まで賄っている」というものすごい仕事をしている人たち、ということになります。

 

ロボット技術等の発展により、公務員に必要な人数は減っていくかもしれません。そうするとますます希少価値の高い「世界を支える仕事」として、一番の尊敬と感謝の対象となる仕事。

 

そんな世界はいいんじゃないか、なんて思ったりします。


ベーシックインカム(お金じゃなく、ベーシック食・住の提供)が、公務員によってなされる、という世界です。


そんな世界の中で、民間の人が何をするのか。それはもう、より楽しく、より幸せに生きる「贅沢」を満喫することです。

 

働かずに「ベーシックインカムの中だけで最低限の生活をする」というのが幸せな人は、それもありでしょう。毎日散歩するだけの生活。そういう人もいていいと思います。


毎日、踊っていたい、歌っていたい、という人もいるかもしれません。それもOKです。「それをみんなに伝えたい」と思って、Youtubeで世界中に発信する、そんな人もいいでしょう。

 

「収入を増やして、もっと贅沢をしたい」という人も勿論いて構いません。これまでの「仕事」と同じように、人に喜ばれることをして、自分の収入を増やして、得た収入を使って、欲しいものを買う。

 

それもあっていいと思います。

 

そうなったときに、多分、実は、今とあんまり変わらない世界、変わらない日常だったりするのかなと思うんですが、

 

根本的にやっぱり違う世界になっていると思います。


ベースが「自分たちは遊んでいる」という認知だから。。。


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このビジョンが実現されるには、色々な課題があるだろうなぁということは思います。

でも、自分のワクワクするビジョンはこれなんです。

 

新型コロナウィルスに関する4月以降のシナリオ3パタンを考えてみました

4月から新年度で気持ちを新たにやっていきたいなと思い、一旦コロナについて3月中に心の整理をつけよう・・・と思って結局、アップできたのは4月入ってますが、気持ち的にはまぁギリギリ3月いっぱいだったということで。

 

仕事でしょっちゅう使う「シナリオプランニング」を活用しながら、ちょっと書いてみたいと思います。ちなみに私は疫学の専門家でもなんでもないので、そんな人間の勝手な妄想だということで読んでください。

 

■楽観シナリオ

コロナの感染拡大が、5月頃には収束している。4月5月の「色々な」努力が実っている。ワクチンがすごい速さで開発されているとか、隔離システムが構築されて「感染者」「重篤者」「健常者(の活動)」が上手く分離されているとか、なにがしか、とてもうまくいっている、という状況になる。

 

それで感染者が指数関数的に増えるのは終わっている。

 

「雰囲気」の面でいうと、効果的な対策方法が確立されて、プロ野球が開幕されるとか、色んな歌手、アーティストのライブなどが開催されるとか、そういうこともできるようになって「日常が戻った!」感が、出てくる。それが6月、7月とかにはそうなっているという状況。

 

3,4,5月の3ヶ月の経済的ダメージは勿論あるけれど、飲食店、旅館、イベント関連など、ダメージの大きかったところを中心に速やかな支援が行われ、順調に復活していく。もちろん大きな財政出動はあるけれど「ここで使った税金は、業種関係なく国民みんなで稼いで払って行こう」みたいな前向き感もある。

 

・・・くらいの楽観シナリオであれば、自分の仕事(研修やコンサル)なども、一時的に減るなりはあるにしても、夏以降は通常モードに戻れる。

 

・・・というくらいが楽観シナリオでしょうか。

 

■悲観シナリオ

3月末からの東京中心の感染拡大に歯止めがかからず、感染者数が毎日1,000人、10,000人と増えていく。それに従って、重症者、重篤者も増え、イタリアのような医療崩壊状態になる。お年寄りを中心に、毎日、人が、どんどん亡くなっていく。

 

4月中に経済活動どころか、日々の生活についてもほぼ麻痺して、動けない状態になる。「とにかく感染拡大を防ぐために動くな」だけが最優先とされる状況。終わりの見えない自宅待機が続き、経済の循環はほぼ崩壊する。

 

派遣社員や中小企業、自営業を中心に収入がなくなる。家賃が払えなくなる。光熱費を払えなくなる。ご飯を買えなくなる。そういう人が多発する。そうなると、生活保護の解釈の拡大か、何かしら特別な措置(失業に対する大きな補償や、家賃を政府として負担するなど)を緊急的に発動せざるを得なくなる。

 

5月は、東京を中心に社会活動をほぼ全面的にストップ。食に関わる一次産業と、医療業界以外は「とにかく自宅で過ごす」。※海外はすでにこの状況にある地域も多そうです。

 

寝るところと、食べるものがあれば、とりあえず人は死なないけれど、ストレスはもの凄く大きい。

 

移動の制限を徹底したかいがあり、感染者数が指数関数的に増える状態を超え、増加率が低減。それでも感染者数は10万人、100万人というレベル。(致死率が1%なら、千人、1万人という亡くなる人の数のレベル)集団免疫が獲得される60%(という説があるだけ)、7000万人というところまでにはたどり着いてはおらず、ワクチンの開発が待たれる。

 

6月に入っても、経済活動、生活の活動はほぼストップしたまま。「感染を増やして、病院に送る人を増やしてしまわない」ことだけが、国中の目標となっている状態。

 

7月に入り、生活必需品の生産のみの生活に徐々に慣れてくる。共産主義配給制のような生活。生活必需品の生産・物流以外の仕事がない。「仕事をしたい」と多くの人が感じ始める。

 

8月に入り、結局日本人の半数以上が感染を経験し、理論上、集団免疫を獲得した状態になる。6000万人の感染で、致死率1%、60万人の方が亡くなるという大惨事。(約100年前のスペイン風邪は、日本の人口6000万人弱に対して、40万人ほどが亡くなっている)

 

9月以降、戦争が終わったかのような復興モードが始まる。命、仕事、経済システム、政治システムといったことに、多くの「?」が生まれていて、社会の再生が始まっていく。

 

・・・このレベルになったら、自分の仕事は倒産なりして、生活保護などに頼ることになる可能性は十分にありますね。。。

 

 

■中間シナリオ

日本の感染対策が良くも悪くもある程度機能し、自粛が要請され続け、感染者数もダラダラと増えるが、爆発的には増えない。

 

4月、5月と「感染が爆発しないように」「医療崩壊が起きないように」という緊張感が続き、一方で、飲食店、旅館業、零細企業などは【自粛の要請】に耐えられずに、どんどん倒産していく。

 

かと言って「自粛の要請」を弛めれば、感染が爆発する可能性があり、一方で、中小企業の経営者、派遣社員などを中心に「収入を補償しろ」という声がどんどん大きくなる。財政出動せざるを得なくなり、アメリカの規模に近い、200兆円規模の財政出が決まる。

 

しばらく多くの国民が「仕事で得たお金で暮らす」のではなく「政府が配給したお金で暮らす」ことを経験することになる。

 

医療崩壊は免れ、死者数はそこまで増えずに済んでいる。一方で、経済活動はかなり崩壊しており、仕事をしたくてもできないという人が社会的に多数いる状態が続いている。

 

12月頃にワクチン開発の朗報が届き、医療的な収束のめどが立つ。経済活動も再開の余地が見えてくる。「財政出動したはいいが、財源はどうするのか?」というテーマに、国として向き合うことになる。

 

■3つのシナリオを書いてみて・・・

楽観シナリオにいける確率がどれくらいだろう・・・と思うと、とても低いような気がしてなりません。ここに書いた3つのシナリオ以外にも、もちろん未来のシナリオ(可能性)は無限にあるわけですから、なんとも言えませんが。。。

 

書いてみて思ったのは「覚悟したほうが良さそうだ」ということです。悲観シナリオ、中間シナリオ、と書いてみたものの、中間シナリオですら、だいぶ悲観的ですし、その悲観的なシナリオの方が確率が高そうに、個人的には感じられてしまっています。。。

 

思ったよりも、かなり厳しい状況に、私たちは直面しているのかもしれません。明日から4月、新年度が始まりますが、厳しい状況でも、元気に頑張っていきたいなと思います。楽観的に考えすぎず、同時に希望を捨てず、今の自分にできることをやる。当たり前ですが、それに尽きるように思います。

 

 

 

 

 

 

社会づくりに関してのblogを始めてみました

blogを開設しました。

 

2020年3月の今、コロナ騒動は大変なもので、自分の仕事も思い切りその影響を受けながら暮らしています。

 

2011年の東日本大震災原発事故があり、私はものすごくショックを受けて「自分が日々使っている電気が、どこでどう作られてるのかを考えもしないでいた自分」を見つけて愕然としました。そこから、自分なりに社会システムのことを考えたり、できる範囲で行動してみたり、色々やってきました。

 

行動したことの多くは「これでは上手くいかない」「これでは成果が出ない」と思うような反省のものばかりで、何か成果を結実させられたわけではありません。

 

そして、震災から9年が経って、今またコロナのパンデミックがあり、やっぱり社会全体のことを考える、行動していく必要性を改めて感じています。

 

9年間考え続けてきたことを書き出してみたり、ここの文章を一つのネタにしてみんなで議論を深めてみたり・・・そんなことをあらためてやっていきたいなと思っています。それで、このblogを始めました。

 

9年前と明らかに違うのは、一つはzoomの存在です。オンラインで「社会づくり」について探求するという環境は、ぐっと整った感じがあります。これは結構大きなことな気がしています。

 

大人には、個人、家庭人、職業人、市民といった側面があると思いますが、このblogでは市民という側面にフォーカスして書いていってみたいと思います。

 

さぁ、やってこっと。